ドイツ道中記
━ロシア編━
 

サンクト・ペテルブルク自主観光の巻

 

 

 休憩後、ホテルの周りをちょっとうろうろしてみる。

 

スイカの屋台 サンクト・ペテルブルク郊外のあちこちで見かける、スイカ屋さん。

 路上に置いてある檻のような丸いかごの中にスイカが山ほど入っていて、それを売っているらしい。地元の人が買っているのも見かけた。かごがスイカの形をしているのがなかなかかわいい。

 このスイカ屋さん、夜になっても路上にかごを置きっぱなしで帰ってしまう。扉はカギがかけられるから盗まれる心配はないんだろうが、心配なのは売る方ではなくて買う方。売れ残ったスイカはかごの中に入れっぱなしになってるわけで、買う時には腐っていないかどうか見極めが必要。

 ロシアは夏でも涼しいので、そうそう傷んだりしないのかもしれない。

 後ろの方に写っているスーパーマーケットで、用もないのに買い物をしてみる。ロシアというとソ連時代のイメージが強くて、店に品物が全然なくて買い物客がずーっと並んでいるような感じがしてしまうが、今はそんなことはまったくない。スーパーには食料品や雑貨が豊富に並んでいて、日本のスーパーと変わりない。韓国食品コーナーとか日本食品コーナーなんかもあり、しかも24時間営業だったりして、日本のスーパーよりいいかもしれない。お茶とチョコレートがすごい品数だったのに驚き、1つ選んで買ってみることにした。N子は「きのこの山」にそっくりなチョコレートを発見し、即購入。

 

 

勝利の広場 さて、先にも書いたが、我々の宿泊しているプルコフスカヤ・ホテルは、勝利の広場に面している。勝利の広場は大通りのど真ん中のロータリーにあり、巨大な赤い柱と多くの彫像が立っている。

 初日にホテルへ向かうバスの中で、第二次世界大戦でドイツに勝利した記念に作られたということだけは聞いていたが、観光地ではないためか、それ以上の案内はなかった。

 ちょっと興味を持ったので、N子と2人だけで行ってみることにした。ただ、少々不安が…。ロシアでは、外国人が街を歩く際にはパスポートの携帯が義務付けられているのだが、この時我々はパスポートを持っていなかったのである。なぜなら、滞在登録(レギストラーツィアという)を受けるために、パスポートをホテルに提出しなければならなかったからだ(これも旅行者の義務なのである)。

 つまり、現状のまま外出して警察官に出くわし、パスポートのチェックを求められたら即アウト。中には、それを見越して外国人のパスポートをチェックし、不携帯を理由に罰金を取って小遣い稼ぎにするという悪徳警官もいるそうなので、パスポートなしの外出はかなり勇気がいるのである。

 「モスクワはまずいですけど、サンクト・ペテルブルクではそういうことはあんまりないですね」と言っていたS馬さんの言葉を信じ、さらにスーパーマーケットまでは行ってしまったけど何も起こらなかったということで楽観的な判断を下し、ドキドキしながら勝利の広場へ向かうことにする。ガイドブックも予備知識もなく、それどころかガイドも添乗員もパスポートも会話集も、安全保障すらない、ちょっとした冒険観光。

 

 勝利の広場の周りはかなり交通量が多いので、道路の横断は無理。地下道でつながっているのでそこを通ることになるのだが、パスポートがない上に、地下道…。「地下道には物乞いやスリ、強盗、酔っ払いなどがいて、治安が悪いので通らない方がよい」と聞いていたので、おっかなびっくり階段を下りる。予想に反して誰もおらず、ほっとしながら広場へ。

 地下道には第二次大戦中の写真がたくさん飾られている。

 

 無事に地下道を抜けたので、ほっとして記念写真。さっき買った偽「きのこの山」を持ってポーズ。

 ここは広場の裏手にあたるようだ。ロシア語は読めないが、N子の後ろには“レニングラード”ЛЕНИНГРАД と書いてあるのがわかる。60年前、ここはレニングラードと呼ばれていた。

 暮れゆく空。誰もいない広場。巨大なモニュメント。

勝利の広場・入口

 

慰霊碑 先へ進むと下り階段があり、階段を下りると円形のくぼ地になっている。中央には恐らく戦没者の慰霊碑であろう、戦火に倒れた人々の彫像があって、花が手向けられていた。後で調べてわかったのだが、中央の慰霊碑はサンクト・ペテルブルクの軍民を表し、周囲を取り囲む円形の壁はドイツ軍による包囲を表しているという。

 1941年、ナチス・ドイツは独ソ不可侵条約を破棄してソ連に奇襲攻撃をしかけ、ソ連領深くへ侵攻した。旧レニングラードは900日にわたるドイツ軍の包囲攻撃を受け、軍だけでなく一般市民にも多大な被害を出した。犠牲者は、軍民合わせて60万人にも及んだ。

 この彫像は、そうした犠牲を忘れないようにと作られた(断言)。死んだ子どもを抱く、左端の母親の像が胸を打つ。

 この慰霊広場の出口の上には、包囲の日数を示す「900」の金文字が刻まれている。円形の壁はここで破られたような形になっており、ドイツ軍の包囲を突破したことを表している。

 慰霊碑の前なのでちょっと神妙になって、一応手を合わせてみる。

 警察官らしき制服の人物が階段を下りてきたのでドキッとしたが、何も言わずに端の扉の中に入っていった。どうやら、この地下は戦争の資料館になっているようで、そこの警備員だったらしい(この日はもう閉館していた)。

 

 慰霊広場を抜けると、針葉樹の生えている一画がある。木の根元には墓石のような黒い石が並んでおり、1つ1つに「モスクワ」「レニングラード」「スモレンスク」など、主だった都市の名前が刻まれている。ロシアの人民が守りぬいた、祖国の大地の象徴か…

 ちなみに、サンクト・ペテルブルクは「レニングラード」と戦時の名前で刻まれていたが、スターリングラードだけは「ヴォルゴグラード」と改称されていた。さすがにスターリン批判は徹底されている。

 この奥に上り階段があり、広場の正面へ出るようになっている。

勝利の広場・祖国の大地

 

勝利の広場・勝利の記念碑  そびえたつ記念柱と、その下に雄々しく立つ2人の男性の彫像。ここが勝利の広場の中心にして正面部分。写真ではわからないが、この記念柱と彫像は、日本ではありえないようなでかさ(彫像は10m近くあるんじゃないか…?)。

 柱の上の方には「1941 1945」と書かれている。1941はドイツと開戦した年、1945はドイツに勝利した年である。1941〜45年のドイツとの戦争を、ロシアでは“大祖国戦争”と呼ぶ。それだけ、ドイツから祖国を守ったという意識が強いのである。

 男性の彫像は、右側が銃を持った兵士、左側がハンマーを持った労働者。兵士と労働者という取り合わせは、軍民の協力とか、前線と銃後の団結とかを表していると思われる。

 

勝利の広場・右側の群像 中央の像の左右に群像が置かれている。こちらは右側の群像。

 先頭に立っているのは前線で戦った兵士たち。掲げている旗はもちろんソ連の旗。

 その後ろにいるのは、銃後で戦いを支えた人たち。溶けた金属を鋳型に流し込んで、砲弾を作っているところ(足元に砲弾が並んでいるのが見える)。ちなみにこの人たちは女性で、前にいる兵士が男性。男女を問わずそれぞれの役目を果たし、戦争を戦い抜いたということを表している(たぶん)。

 一番後ろにいる人たちも兵士だが、前の兵士とはちょっと様子が違う。母親と別れを告げる少年兵がいたかと思うと、その後ろには立派なヒゲをたくわえた老年兵もいる。つまりこれは、老いも若きも団結して戦ったという意味で、この群像全体で「老若男女」が戦ったということを表現しているのである(恐らく)。

 

勝利の広場・左側の群像 逆光で見えにくいが、こちらが左側の群像。

 右側の群像と同じく、先頭は兵士たち。一番先頭にいるのが、飛行帽をかぶった空軍兵士。その隣で銃を持ち、ひものついた帽子をかぶっているのが海軍兵士。その後ろに続いているのが、マントを背負った陸軍兵士。

 その後ろの群像の中には、子どもを抱きしめる兵士の姿があり、右側の群像の「母親に別れを告げる少年兵」と対になっている。この辺が泣ける

 ほかに、明らかに狙撃兵と思われるライフル銃を持った兵士や、バリケードを作る市民の像がある。

 

 広場に入る際に一旦階段を下りて、永遠の火に囲まれた慰霊碑の前でしんみりした気分になり、そこから上へ上がってきて、勝利を記念する巨大な彫像を見上げるというこの構造は、否応なく人間の心を動かす。レニングラード攻防戦には何の関係もなく(日本人の我々はむしろドイツ側ですらある)、言葉もわからない私でさえ、慰霊碑の前では神妙な気持ちになるし、群像を見上げるとその迫力に圧倒され、命がけで祖国や家族を守ろうと戦った人々に思いをめぐらせてしまう。たとえ現実がそんなに崇高なものでなかったとしても、巧みに構成された銅像は見る者をそういう心境にさせてしまうのである。

 権力者がなぜ自分の銅像を立てさせるのか、失脚後になぜ銅像が引き倒されるのか、その心理は日本人にはいまいちわかりにくいが、ここに立ってその理由がわかった気がする。善し悪しを別にして、銅像が見る人の心に与える影響は想像以上に大きいのである。

サンクトペテルブルクの夕焼け

 暮れゆくサンクト・ペテルブルクは、夜9時を回った。レニングラードに生きた人たちも、同じ夕焼けを見上げたのだろうか。……とアンニュイな気分になってホテルへ帰る。銅像の魔力にすっかりやられている俺

 ちなみに、勝利の広場の脇に建つプルコフスカヤ・ホテルと、その反対側に建つエレクトロ・スタンダート研究所は同じデザインで、左右対称になっている。勝利の広場から市街へ伸びるモスクワ大通りの両側の建物も、左右が同じデザイン。要するに、勝利の広場を中心として、街路全体が一つのモニュメントとなるようにデザインされたものだったのだ。

 

 

防御陣地跡? 参考までに。サンクト・ペテルブルクの中心部からちょっと外れた場所には、60年前の包囲戦の記念碑や遺構が数多く残っている。

 ホテルの窓から何気なく撮った写真(本編の最初の方参照)にも、たまたま写っていた。右がその拡大写真で、コンクリート製の半地下の構造物に「1941−1945」と書かれている。たぶん、防御用の施設だったのかも。こういうものが道路脇や公園のあちこちに残されている。

 また、鉄骨を3本組み合わせたバリケードや、旧ソ連の戦車(!)が残されている所もある。

 

 

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