サンクト・ペテルブルク観光の2日目。今日は郊外にあるピョートル大帝の夏の宮殿を見学してから、いよいよサンクト・ペテルブルク最大の見学地であるエルミタージュ美術館に足を踏み入れる。
ロシアの気温はどんなものだろうと思って、日本から温度計を持参した。朝、バスに乗る前にホテルの前で測定したら、8月だってのに気温は16℃。寒いわけだ。
のどかな田園風景を見ながら、約1時間でペトロドヴァレツ Петродворец という町に到着。
ここは昔はペテルホフ(ペテルゴフ) Петергоф という地名だったのだが、ピョートル大帝がここに宮殿を建てた時にペトロドヴァレツ(“ピョートルの宮殿”の意)という名になった。宮殿は庭園の部分も含めて800万m2の敷地面積を持つというから、宮殿の中に町があるようなもので、町の名前が“ピョートル宮殿”になるのもうなずける。
大宮殿Большой Дворец www.peterhof.org 夏の宮殿に建てられた、ピョートル大帝の離宮。スウェーデンとの戦争に勝利したことを記念して建設された。ヴェルサイユ宮殿を模範に造られたので、“北のヴェルサイユ”とも呼ばれる。 建設当時は2階建てだったが、エカチェリーナ宮殿も手がけた建築家ラストレリによって後に3階が増築され、現在の姿になった。壁を彩るパステル・イエローは、ピョートル大帝のお気に入りの色。だったら琥珀も好きそうなもんだが… 写真に写っているのは正面入口で、手前の方は“上の公園”と呼ばれている。なぜ“上”なのかは、後で出てくる“下の公園”を見るとわかる。 ご多分に漏れず、この宮殿も第二次大戦中にドイツ軍に占領され、灰燼に帰した。現在の大宮殿は復元されたもの。 |
| 大宮殿の内部。エカチェリーナ宮殿もそうだったが、宮殿内部では床を保護するために、靴の上にカバーをかける。さらに、大きなカバンや長いコートの持ち込みも禁止。盗難を防ぐためと、危険物の持込を防ぐ目的がある。 昔はこんな部屋で舞踏会なんかを開いたんだろうなぁ。 |
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皇帝一家が使った食堂。ピョートル大帝もたぶんここに座って食事をした。 |
大宮殿2階の中央にあるのが、二重窓の広間。“肖像画の間”という別名どおり、壁には肖像画がびっしりと飾られている。ここに描かれているのは、すべてこの大宮殿にいた実在の人物。貴族から召使まで、身分を問わずきれいな女性ばかりが描かれた。この部屋はピョートル大帝の趣味の部屋だったんだろうなぁ、と想像。 ちなみに、この大量の肖像画の中には、おじいさんの絵とおばあさんの絵が1枚ずつ混ざっている。なぜ混ざっているのかはわからないが、ピョートル大帝か画家のしゃれっ気だろうか? 『ウォーリーを探せ!』みたいで面白いので、行ったら是非探してみましょう。 |

“二重窓の広間”という名前の由来になったのが、この二重窓。テラスから下の公園を見下ろすようになっている。水路の先に広がるのはフィンランド湾。その先にはバルト海がある。
バルト海の制海権をめぐってスウェーデンと戦い、勝利したピョートル大帝。宮殿からまっすぐにバルト海へつながる水路を作るというアイディアは、ピョートル大帝自らが発案したという。ピョートル大帝はこのテラスからフィンランド湾を眺め、勝利の余韻にひたったのであろう。
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大宮殿を出て、庭園へ。大宮殿をはさんで上の公園と反対側にあるのが、下の公園。なぜ“下”かというと、宮殿の下にあるから。 階段を下りていくと、いくつもの噴水が水を噴き出している。 |

下の公園から大宮殿を見上げる。
写真の右の方で豪快に水を噴き上げているのが、「ライオンの口を引き裂くサムソン」という噴水。スウェーデンに勝利した日が聖サムソニアの記念日だったということで、縁起がいいからサムソン像が設置された。ライオンの口から噴き上がる水は、20mもの高さにおよぶ。ピョートル大帝は、噴水が大好きだったそうだ。
| 噴水の周りには、ギリシア神話やローマ神話をモチーフにした金の彫像がずらり。ちなみに、庭園内には64の噴水と260の彫像がある。 | ![]() |
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とにかく噴水と彫像だらけの庭園。この噴水は「イルカの口を引き裂く人魚」。…口を引き裂くのが好きなのか? このイルカはスウェーデンを表しているとも言われている。 それにしても、イルカがこわい。 |
| 大宮殿の端に設けられた、礼拝堂の屋根。金です。 庭園を歩きながら何となく撮ったら、絵葉書みたいな写真になった。 |
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夏の宮殿を出てすぐの所にあるレストランで昼食。その名も“ペテルゴフ” ПЕТЕРГОФ 。そのまんまのネーミング。
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メインディッシュは、コーカサス名物シャシリク
шашлык 。 羊肉の串焼きなのだが、ここでは豚肉。 |
昼食後、バスでサンクト・ペテルブルクへ戻る。午後はいよいよ、エルミタージュ美術館観光。
大英博物館、ルーヴル美術館と並ぶ、世界三大美術館の1つとされるのがここエルミタージュ美術館。コレクションの総数は約300万点に及ぶ。 この建物は、もともと美術館として建設されたのではない。ピョートル大帝の娘であるエリザヴェータ女帝が、建築家ラストレリ(またも登場)に依頼して造らせた冬の宮殿(冬宮)がその始まり。残念ながら、エリザヴェータ女帝は宮殿の完成を見ることなくこの世を去り、冬宮は女帝エカチェリーナ2世の時代に完成した。 エカチェリーナ2世は、冬宮に隣接する離れの増築をラストレリに依頼し、冬宮と離れを空中廊下でつないだ。この離れが“エルミタージュ”(フランス語で“隠者の庵”の意)と名づけられ、エカチェリーナ2世が西欧から買い集めた大量の絵画が飾られた。エカチェリーナ2世はここで名画を見ながら、愛人オルロフ伯と楽しい時間を過ごしたという。 この離れは、現在は“小エルミタージュ”と呼ばれている。エカチェリーナ2世がその後、離れのさらに隣に美術品を収める建物を建てさせ、これが“大エルミタージュ”と呼ばれるようになったからである。彼女は大エルミタージュに隣接する形で、宮廷人専用の“エルミタージュ劇場”も建設させている。19世紀になると、一般市民にも公開する美術館として“新エルミタージュ”が建設され、今日のエルミタージュ美術館の形ができあがった。 写真は、冬宮から入った見学者が最初に上る“大使の階段”。ここが宮殿だった頃、各国の大使がこの階段を通ったことからこの名がついた。今は大使でなくてもOK。 |
←美術館の入場券。この天使の像も、美術館のどこかにある。
ここから、サビーナさんのガイドでごくおおざっぱにエルミタージュの名画を見て回る。ごくおおざっぱでも、3階で解散するまで1時間もかかったが。
現在は冬宮部分にも美術品が飾られているのだが、とりあえず空中廊下を渡って小エルミタージュへ。最初に入るのが“パヴィリオンの間”。写真のモザイク模様の床は、イタリアの貴族から買って、その邸宅からはがして持ってきたもの。何でも買える金持ちは、人ん家の床まで買ってきてしまう。 この部屋には有名な孔雀の時計も置いてあるのだが、人が多くて写真が撮れず。 窓の外は、2階なのに庭園がある。この“空中庭園”の向こう側にある部屋に、愛人オルロフが住んでいた。オルロフの部屋は、冬宮にある女帝の私室と空中廊下で直接つながっている。…構造が直接的すぎるような気もしますが、そんなに公然と愛人をかこって平気だったのか…? |
| 小エルミタージュから空中廊下を渡り、今度は新エルミタージュへ。天窓のついた大ホールが3つあり、ここは小イタリア天窓の間。 壁に飾られた絵画もさることながら、孔雀石やラピスラズリで作られた壷やテーブルもすごい。 |
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新エルミタージュから大エルミタージュ(“旧エルミタージュ”ともいう)へ抜ける、その名も“ラファエロの回廊”。その名に反して、ラファエロが描いた絵はここには1枚もない(ほかの部屋にはある)。ラファエロと弟子たちがヴァチカン宮殿の回廊に制作したフレスコ画(要するに壁画)を欲しいと思ったエカチェリーナ2世であったが、さすがにヴァチカン宮殿となると、パヴィリオンの間の床のようにはがして買ってくるわけにはいかない。そこでキャンバスに複製させてロシアへ持って来ることにした。 その複製画をどこへ置くか、ということでいろいろ考えたあげく、ヴァチカン宮殿の回廊そのものをそっくりそのまま複製して、そこへ置けばよいということになり、できたのがこの回廊である。金のある人は、考えることが無茶苦茶。 本家ヴァチカン宮殿ではラファエロのフレスコ画はほとんど失われてしまったので、この試みは人類にとって有意義であったとも言える。 |
エルミタージュには、とにかく古今東西の芸術品が山ほど詰まっている。ということで、3階に行くとモネやルノワール、ゴッホ、ゴーガンらの印象派の絵も展示されている。また、ピカソやマチスなど、現代絵画もある。もちろん、エカチェリーナ2世が集めたものではない。これらの絵画は、実業家モロゾフとシチューキンによって集められたものだったが、革命により絵画が没収・国有化され、国立美術館であるエルミタージュに収められたのである。 これらのコレクションの中で最も有名なのが、マチスの「ダンス」。青と緑の背景の前で、オレンジ色の人々が手を取り合って踊っている大きな絵である。 3階で解散してサビーナさんと別れ、N子と2人で「ダンス」を見つける。あれ、展示場所変わったんだね……それに今日はちょっとお疲れ気味なのか、みんな座ってるし……ってこれ、「ダンス」じゃないよね?
美術館同士で作品の貸し借りが行われるので、お目当ての作品が他の美術館に貸し出し中、なんてこともある。残念。 |
解散後は時間を決めて最初の大使の階段に集合ということになったので、せっかくだからN子と2人であちこち歩き回ってみることにする。同じルートを引き返すのが最も安全な方法なのだが、それではつまらない。決して引き返さず、前へ前へ進むのだ!と変な気合を入れて前進。
結果……大使の階段どころか、自分がどこにいるのかさえわからなくなった。
エルミタージュの広さと複雑さをなめてきっていた私。歩いているうちに、「あ、ここ通ったことある!」という場所に出たのだが、そのまま見覚えのある通路を戻るのを潔しとせず、あえて外れていったため、エルミタージュの深みへいっそうはまりこんだ。
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途中、大きな階段を下りたらこんな場所に出た。窓の外に、屋根を支えるアトラス像。 後で調べたら、ここは新エルミタージュの1階入口だった。下りてきたのは正面階段。今はここから入ることはできない。 大使の階段の探索は続く… |
結局、大使の階段にたどり着いたのは集合時間の5分前。途中でちゃんとミュージアム・ショップに寄って、ガイドブックとお土産を買ってきた。しかも、後で美術館の地図を調べたら、エルミタージュのほぼ全部を通っていたことが判明。地図を一切見ずに適当に歩いていたというのに、優秀じゃん。
ただし、出口を探してうろうろしていただけなので、せっかくの美術品はほとんど見ていない。今度行く機会があったら、もう少しゆっくり見たい……これから行く人は、地図を忘れないこと。それから地図をちゃんと見ること。
でも、美しく彩られた迷宮を探険している気分で、それはそれで面白かったんだけど。
エルミタージュの中を堪能したので、せっかくだから外も見てみることにする。
宮殿広場Дворцовая Площадь エルミタージュ美術館、かつての冬の宮殿の前は、とにかくだだっぴろい広場になっている。 真ん中に立っているのはアレクサンドルの円柱。ナポレオンとの戦いに勝利した記念に立てられた記念柱で、高さ47.5mの柱が600トンの自重だけで自立している。“アレクサンドル”というのは、ナポレオン戦争を指揮した皇帝アレクサンドル1世のこと。 半円形のクリーム色の建物は、旧参謀本部。今はエルミタージュ美術館に買収されたので、この広場の周囲は全てエルミタージュ美術館ということになる。旧参謀本部の真ん中にあるアーチは、これもナポレオンに対する勝利を記念して作られた凱旋門である。 |
| アレクサンドルの円柱と向かい合っている緑色の建物が、さっきまで中をさまよい歩いていたエルミタージュ美術館。真正面に冬宮がでーんと建っており、この右の方に小エルミタージュ、新エルミタージュが続く。 入場口はこの反対側、ネヴァ川に面したところにある。 |
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さて、予定されていたサンクト・ペテルブルク観光はこれにておしまい。現在、夜7時ちょっと前。ここへ来るまでにも大きなお土産屋さんに寄って相当時間をつぶしたのだが、これから夕食を食べて23:59発のモスクワ行きの寝台列車に乗るには、待ち時間多すぎじゃない?
そんなわけで、ここから先はサービスで、観光が追加された。まずは芸術広場で自由時間。その後夕食を食べ、日が沈んだ頃合にネヴァ川を渡ってペトロパブロフスク要塞の方へドライブ。ネヴァ川は渡らないという予定だったので、見たいものをいろいろあきらめていた私にとって、これは嬉しい! ありがとうS馬さん、ありがとうtrapics!
実は、ロシアを旅行すると様々な理由で予想外の時間を食うことがある。たとえば、宮殿や美術館での入場待ちの時間や、市内の交通渋滞、列車や飛行機のダイヤの乱れなどが主な原因である。そういった時間をあらかじめ計算に入れて予定が立てられているが、逆にスムースに入場できたりすると時間が余ってしまうのである。そういう時に、余った時間を使って臨機応変に観光を組むわけだから、S馬さんたちも相当すごい仕事をしているということがわかる。かっこいい。
ということで、まずは芸術広場へ。
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途中で出会った新婚さん。バスに向かって手なんかふっちゃう。 今がプロポーズのチャンスか?と一瞬思ったが、モスクワまで思いとどまる。 |
芸術広場Площадь Искуств プーシキンの像を中心とした広場。ロシア人は本当にプーシキンが好き。 ロシア美術館やムソルグスキー記念オペラ・バレエ劇場、サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニーなど、芸術に関する建物が広場を取り囲んでいる。 ここから少し行くと、昨日も見たスパス・ナ・クラヴィー聖堂がある。また、サンクト・ペテルブルクの目抜き通りであるネフスキー大通りも近い。 |
| ここでしばらく自由時間になったので、ツアーの皆様はスパス・ナ・クラヴィー聖堂をもう一度見に行くグループと、ネフスキー大通りに出てみるグループになんとなく分かれて解散。 我々は周囲の写真を撮ってから、ネフスキー大通りへ行ってみることにする。右の写真はロシア美術館。このすぐ裏がスパス・ナ・クラヴィー聖堂。 |
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ネフスキー大通りНевский проспект 芸術広場からグランドホテル・ヨーロッパに沿ってミハイロフ通りを抜けると、大きな交差点に出る。ここで交わっているのがネフスキー大通りである。日本で言ったら銀座通りみたいな所。人通りも車通りも多くて、にぎやか。 単なる大通りではなく、あちこちに見どころがある。写真に写っているのはガスティーヌィ・ドヴォール Гостиный Двор というデパート。1日30万人が出入りするという、サンクト・ペテルブルク最大のデパートである。1785年に建てられた建物で、その当時からデパートとして使われていた。ガスティーヌィ・ドヴォールとは、“商人の館”という意味。200年以上前から、ここには商人と買い物客が集まっていたのだろう。 交差点を右に曲がり、ネフスキー大通りを旧海軍省に向かってぶらぶら歩いてみることにする。 |
グリバエードフ運河を渡ると、左側に見えるのがカザン聖堂。パーヴェル皇帝が建設を命じ、農奴出身の建築家ヴォロニーヒンが設計した。 ロシアがナポレオン戦争に勝利した後、フランス軍から奪った軍旗がこの聖堂に収められた。聖堂の前には、戦争を指揮したクトゥーゾフ総司令官の像が立っている(写真ではちょっと見えない)。 革命の時代には、聖堂前の広場は学生の集会場になっていたという。ロシアのいろいろな歴史を見てきた建築物である。 |
さて、ここから戻ると集合時間にちょうど良い。ということで、ここから先へは行かずに引き返すことにする。
※ネフスキー大通りは人通りが多い分、治安も良くないので注意が必要。ツアー客の中にも、スリにあったり若者にインネンをつけられたりした人がいました。
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サンクト・ペテルブルク最後の夕食は、ここ“チャイコフスキー”。 昔、この建物は音楽学校で、作曲家チャイコフスキーはここで学んでいたそうだ。 それにしても……ボロい。でも中はとてもきれいなのである。 |
白身魚のフライ料理を食べ、時間もあるのでちょっとゆっくりする。このレストランでは、チャイコフスキーの肖像とバレリーナの姿を描いたオリジナル・グラスを使っており、希望すれば購入することもできる。大が7$、小が5$で、N子は大を1つ購入。
S馬さんは別テーブルで、何やら携帯電話でお話中。かなり真剣な様子で、電話を持ったまま外へ出たり戻ってきたりと忙しそう。そんな時に我々ツアー客は、グラスの大と小を替えてくれだの小をもう1個追加してくれだのといろんなことを言う。大変だよなぁ……というより、客の方も一度注文したのを後から変えるなよ!
コーヒーを飲んでいるうちに、ネヴァ川のかなたへと日は沈んだ。サンクト・ペテルブルクに夜の帳が下りる。寝台列車に乗る前に、夜のドライブ。
ロストラの灯台柱Ростральные Колонны-Маяки エルミタージュ美術館の前にかかる宮殿橋を渡り、ネヴァ川の対岸のヴァシリエフスキー島へ。初日にこの橋を渡れなくて写真だけ撮ったのが思い出される。 ストリェルカ Сторелка という眺めのいい岬には、赤い柱が2本立っている。昔は灯台として使われていたもので、現在は祭日だけランプが灯るそうだ。 柱からポコポコ飛び出しているのは、船の船首部分をかたどった彫刻。“ロストラ”とはこの船首を意味しており、敵軍の船首を切り取って柱の飾りにしたという古代ローマの習慣に由来する。 |
| ストリェルカはとても眺めのいい場所。対岸にエルミタージュ美術館も見える。 エルミタージュ美術館の前は船着場になっており、ペトロドヴァレツへ行く高速艇が出ている。時間が合えば、水中翼船がネヴァ川を渡るのが見える。 |
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ここからビルジェボイ橋 Биржевой Мост を渡り、ペトロパブロフスク要塞方面へ。
ペトロパブロフスク要塞Петропавловская Крепость クロンヴェルク河岸通り Кронверкская наб. から見た要塞。ライトアップされている部分が城壁。この通りの反対側には砲兵歴史博物館があり、大砲がずらっと並んでいて要塞地帯の雰囲気抜群。 サンクト・ペテルブルク発祥の地がここ。要塞建設には、ピョートル大帝自らが指揮に当たった。というか、自らハンマーを振るって働いた。この近くには、その頃のピョートル大帝が住んでいた丸太小屋も保存されている。 要塞であり、政治犯の監獄あり、歴代皇帝の墓所でもある。とんがっているペトロパブロフスク聖堂には、ピョートル大帝からニコライ2世まで歴代のロシア皇帝が埋葬されている。 ちなみに、要塞内には造幣局もある。 |
ここから川に沿って進み、ネヴァ川と大ネフカ川が合流する場所には、“オーロラ号”という巡洋艦 Крейсер "Аврора" が繋留されている。海軍中央博物館の分館として保存されているこの艦は、1917年のロシア十月革命の口火を切ったことで有名である。
1917年3月、国内の革命情勢の中で皇帝ニコライ2世が退位してロマノフ朝は倒れたが、国会議員らを中心とする臨時政府と、レーニン率いる労働者・兵士のソヴィエト政権が並び立つ二重権力状態が生まれてしまった。そこでレーニンらは、1917年11月に武装蜂起して臨時政府を打倒し、ロシアにソヴィエト政権を樹立した。これが十一月革命(ロシア暦で十月革命)と呼ばれる世界史上の大事件である。
オーロラ号は、この武装蜂起の時にソヴィエト側につき、臨時政府のおかれた冬宮(つまり現在のエルミタージュ美術館)に艦砲射撃をお見舞いしたという歴史があり……とか言ってるうちに、バスはネヴァ川を渡り、市街へ戻り始めたではないか! おいおいミーシャ(運転手ミハイルさんの愛称)、そっちじゃないよ!
S馬さんがマイクでとどめをさす。
「時間の方がそろそろおしてきたんで、駅の方に向かいますがよろしいでしょうか? この先に行くと、オーロラ号っていう軍艦とかがあるんですけど……オーロラ号見たかった方、いらっしゃいますか?」
すっごく見たいんだけどさ、誰も手を挙げてないのに俺だけ「見たい」とは言いにくいじゃん!
こうして、オーロラ号の目前まで来て見ることができず、サンクト・ペテルブルクを後にすることになった。見たかったな…

モスクワ駅
Московский Вокзал
もうモスクワに着いたわけではない。ロシアでは、列車の行先が駅名になっているのである。サンクト・ペテルブルクでモスクワ行きの列車に乗るには、モスクワ駅に行くことになる。
ここから23:59発の寝台列車に乗り込む。
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構内はこんな感じ。広い! 空港より立派じゃん! 右側の壁には巨大な壁画のような路線図があり、奥の壁には「サンクト・ペテルブルク」という金文字と市章が掲げられている。その前にはピョートル大帝の胸像。 |
ホームに出ると、真っ赤な車体の寝台列車が入線している。(写真では照明の関係で色がわかりにくい)23:55発の列車だと“赤い矢号”という名前がついているのだが、こちらは23:59発なので“赤い矢号”ではない。S馬さんは“ニコライ号”と言っていたが、ホームでもう一度聞いてみたら「ただの寝台特急かも…」と自信なさげな様子。 ロシアでは列車の各車両ごとに車掌さんがいて、ホームでは戸口に立って客が乗り込むのを待っている。車掌のほとんどは女性。我々の車両の車掌さんも女性。くらくらするような美人。あーもう、写真撮っておけば良かった! |
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列車の廊下。奥の方が先頭で、左側が窓、右側が個室。 |
個室の中はこんな感じ。左右にベッドがあり、テーブルには水と食べ物が並び、花がさりげなく飾ってある。ベッドはソファー兼用で、折畳式ではなく、二段ベッドでもない。この構造から、この車両が1等寝台車であることがわかる。(個室に二段ベッドがあると2等寝台) 『地球の歩き方』には、1等寝台車は○○号と名前のついた優良列車にしか接続されないと書いてあるから、たぶんこの列車にも名前がついてるんだろうけど……やっぱりニコライ号? 窓の上にラジオのつまみがあったり(何でそんな所にあるんだ?)、廊下の天井裏にあたる部分に荷物を置く棚があったり、そこへ荷物を置くためのはしごが隠されていたり、狭い中にもいろいろな機能があって、N子と2人でひとつひとつ確かめて回る。 ちなみにトイレ兼洗面所は、各車両の端についている。電気シェーバー用の電源もあってなかなか快適ではあるのだが、駅に着くと使用禁止になるのと、流した時に便器の中がちょっと明るくなるのが気になる。流した先が列車の外に直接つながってるなんてことは…? |
初めての寝台列車に興奮し、眠れるかなぁなどと言っているうちに列車が動き出した。ベルとかアナウンスとか汽笛とかは一切なく、時間ぴったりに発車する。
列車の音といったら「ガタンガタン、ガタンガタン…」という規則的なレールの継ぎ目の音を思い浮かべるが、ロシアの列車にはなぜかその音がない。あるのは、「ゴンゴンゴンゴン…」という車輪の響きだけ。
車輪の響きに心地よく揺さぶられ、過ぎ去ってゆくサンクト・ペテルブルクの風景に思いをはせながら、私たちはいつしか深い眠りに落ちていくのであった。