ドイツ道中記
━ロシア編━
 

黄金の環の巻

 

 

 

 

《男爵メモ》

ЗОЛОТОЕ КОЛЬЦО
黄金の環

 モスクワの北東部には、まるで中世にタイムスリップしたかのような古都が数多く残されている地域がある。これらの古都が環のように連なっていることから、この地域は“黄金の環”と呼ばれるようになった。

 “黄金の環”には、石造・木造を問わず貴重な歴史的建造物が数多く残っているため、ロシアの歴史映画のロケ地に選ばれることが多い。そういう意味では日本の奈良や京都のような存在である。

ВЛАДИМИР
ウラジーミル

 モスクワの北東190kmの位置にある、千年の歴史を持つ古都。1108年、ウラジーミル・モノマフ公により基礎が築かれ、1157年にウラジーミル・スズダリ公国の首都が置かれた。

 当時のロシアはいくつかの公国に分かれており、その中で最も隆盛を誇ったのがキエフ公国であった。キエフのソフィア聖堂には、ロシアにおけるギリシア正教の最高府である府主教座が置かれ、ロシアの宗教・文化の中心地となっていた。しかし、13世紀にモンゴル軍の攻撃によりキエフが壊滅すると、府主教座はウラジーミルに移され、それにともなって宗教・文化の中心もウラジーミルへ移り、繁栄を極めた。

СУЗДАЛЬ
スズダリ

 モスクワの北東220kmの位置にある古都。こちらもウラジーミルと同じく千年近い歴史を持つ。1157年にウラジーミルに遷都されるまで、スズダリはウラジーミル・スズダリ公国の首都であった。

 数百年に渡って造られてきた様々な修道院や教会が今も普通に建っている不思議な町で、時間の流れが止まっているかのよう。“歴史の冷蔵庫”と勝手に名づけてみる。

 

2004年8月14日(土) 天候:雨

 心地よい振動と、さわやかな音楽。車窓からは朝の光が差し込んで、まぶたをくすぐる。

 起き上がって窓をのぞくと、列車はまだゆっくりと走り続けていた。車内にはモーニング・コールがわりの音楽が流れ、高級ホテルのような素敵な目覚めである。その上、例の美人車掌が起こしに来てくれるという特典つき。

 車掌さんは起こしに来たついでにお茶かコーヒーのサービスをしていってくれる……という話だったが、この日サービスされたのはパイナップルの缶ジュース。添乗員のS馬さんも「ロシアの鉄道でパイナップルのジュースを見たのは初めて」という貴重な物。サービスということかな?

 

 さて、パイナップル・ジュースに口をつけると、昨夜からテーブルの上に乗ったままになっている食べ物が気になる。寝台車用の朝食として用意されているもので、透明のパックの中にいろいろな物が入っている。開けてみると、中にはパンやチーズ、チョコレート、クッキー、サラミなどが入っていた。朝食はモスクワに着いてからホテルで、という予定になっていたが、小腹がすいたので少し味見をしてみる。

イクラ パックの中には、イクラの小瓶も入っている…。さすがにこれには手をつけなかったが、どうやって食べるのだろうか? スプーンですくってそのまま食べる? それともパンに乗せて?

 ところで、“イクラ”はロシア語だって知ってましたか? ロシアでは魚卵は全部“イクラ”といい、この瓶のふたにも“ИКРА”(イクラ)と書いてあった。ちなみに、キャビアもイクラである。

 

 そんなことを言っているうちに、列車はいくつかの小さな駅を通過し、首都モスクワへと入った。車窓には雨粒。

 

レニングラード駅レニングラード駅
Ленинградский Вокзал

 8時ちょうどに到着。

 先にも書いたように、ロシアでは列車の行先が駅名になっている。したがって、サンクト・ペテルブルク行きの列車が出るこの駅は、モスクワにありながらサンクト・ペテルブルク駅となる。まだ旧名のレニングラード駅と呼ばれているが。

 後ろに写っている赤い列車が、さっきまで乗っていた寝台列車。

 バスに乗り込んで、早速朝食を食べに出発。

 

 

ロシア・ホテルロシア・ホテル
Россия
www.hotel-russia.ru
★★★

 客室数2,700室を誇る、世界最大級のホテル。モスクワの中心であるクレムリンのすぐそばにあり、部屋からはクレムリンや聖ワシリー聖堂が見渡せるという好ロケーションにある。が、それがかえって災いし、「赤の広場から巨大な四角いホテルが見えるのは景観が悪い」という理由で、近々取り壊されるらしい。もったいない。

 宿泊ではなく、朝食を食べるために立ち寄った。

 

ロシア・ホテルからの眺め

 ホテル2階にあるレストランへ。聖ワシリー聖堂の玉ねぎ屋根と、クレムリンのスパスカヤ塔が目の前に! とっても眺めがいいのでしばし感動。しかし、とっても混み合っているぞ!? これは朝食ラッシュだ!

 大学の昼食時に、大混雑した食堂で定食を持って右往左往したことが思い出される。よもやモスクワでそんなことになるとは予想していなかった。

 あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらようやく席につき、食事にありつく。ガイドのアナトーリさんや、見知らぬロシア人サラリーマンと相席。

 スーツに身を包んだこの若いサラリーマン、金髪を五分刈りにしたやせた人だったのだが、皿にソーセージを5〜6本も取り、そのほかに卵焼きやチーズ、ハム、パンなどをしこたま持ってきて食べていた。「よく食うなぁ」と思って見ていると、食事を終えたのか、皿を置いて席を立った。しばらくすると、彼は同じくらい大盛にした皿を持ってまた戻ってきた…

 ロシアの人は朝食をしっかり食べる。しかしアナトーリさんに聞いてみると、「朝は軽めにして昼をしっかり食べる」のだという。…サラリーマンの彼は、この日の昼はどれくらい食べたのだろうか。

 

 

 モスクワに着いた時からぐずついていた空は、食事を終えてバスに戻る頃には本降りになっていた。だが、ロシアでは「旅立ちの雨は吉兆」というそうだ。モスクワ観光は後日改めてするので、この日は約160km離れた古都ウラジーミルへ向けて、雨の中を旅立つ。

 

ダーチャ  サンクト・ペテルブルク郊外でもよく見かけたが、ここモスクワ郊外にもたくさんある小さな小屋。“ダーチャ”と呼ばれる別荘である。都市部に住むロシア人は、郊外にこのようなダーチャを持っているのが普通なのだそうだ。

 別荘といっても、バンガロー風の質素な小屋である。ロシア人は休日にはここへ来て、庭で野菜を育てたり、近くの森へキノコ狩りに行ったり……と自然を満喫して過ごすのだそうだ。日本にはない“豊か”な暮らし。

 

 

 モスクワ郊外の幹線道路をひた走り、ウラジーミルまでは3時間半はかかる。その途中ではどこにも寄らなかったので、朝食のことを書いたばかりなのにもう昼食のことを書かねばならない。

 昼食のために立ち寄った「ロシア村」という所。木彫り細工の美しい木造家屋が並んでいるが、雨のため残念ながらよく見られず。

ロシア村

 

塩辛い歓迎 民族衣装のかわいい女の子がお出迎え。

 ロシアの伝統的な歓迎の儀式を受ける。女の子が持っているのはパンで、真ん中には塩を盛った小皿が置いてある。客はパンを少しちぎって、塩をつけて食べることになっている。

 昔のロシアでは塩は大変な貴重品で、「街でどんなにご馳走を食べても塩は食べられない」と言われたとか。そんなに貴重な塩なので、客を塩でもてなすのは最上級の歓迎の意を表すのだという。

 

 料理はビーフ・ストロガノフ бефстроганов

 もとは、塩で財をなしたストロガノフ家の家庭料理。

ビーフ・ストロガノフ

 

黒パンとクヴァス ロシアの食事で必ず出てくるのが、黒パン。パンなのだが、ちょっとすっぱい味がする。日本人には好みの分かれるところ。

 この黒パンを発酵させて作った飲み物が、ロシア名物クヴァス Квас 。パンを発酵させて飲み物を作るというと、米を発酵させて酒を作るようなイメージがあるが、クヴァスはアルコール飲料ではない。味は、黒パン独特の酸味と甘味がマッチして、非常に微妙。すごく甘いわけでも、すごくすっぱいわけでもないんだよな…。これまた好みの分かれるところ。

 クヴァスは高級な飲み物ではなく、かつてはどこにでもクヴァススタンドがあって、誰でも気軽に買っていたそうだ。しかし、最近は安くて美味しい飲み物がほかにもいろいろ出回っているため、あまり見なくなった。このレストランでは、クヴァスは1$。

 

 

 レストランからバスで30分ほど行くと、古都ウラジーミルに到着。雨。

黄金の門黄金の門
Золотые Ворота

 ウラジーミルの西の端にある門の跡。昔はこの門の左右に土塁が連なり、ウラジーミルの街を取り囲んでいた。今は土塁は取り払われて、門の周りはロータリーになっているが、土塁の跡はまだ少し残っている。一説によると、18世紀にエカチェリーナ2世が来訪した際に、彼女の豪華な馬車が門をくぐれなかったので、門の横の土塁を取り壊したのだとか(たぶん伝説)。

 真ん中のアーチだけが12世紀のもので、あとは18世紀に増改築されたもの。12世紀当時は、どこの街でも街の入口の門は「黄金の門」と呼ばれるしきたりになっていたので、ウラジーミルに限らず古都にはどこでも黄金の門がある。ウラジーミルの黄金の門は、青銅の板にめっきを施し、本当に金色に光っていたという。

 門の上は教会になっているというのが面白い。キリストのイコン(聖像画)も掲げられている。現在は軍事博物館として公開中。

 

サボールナヤ広場サボールナヤ広場
Соборная Площадь

 街の中心の広場。真ん中には3人の人物の彫像が置かれている。兵士の像は黄金の門の方を向き、商人の像は街一番の大通りの方を、建築家の像はすぐそばのウスペンスキー大聖堂の方を向いている。

 ここで現地のガイドさんと合流してから、ウラジーミル最大の見ものであるウスペンスキー大聖堂を見に行く。

 

ウスペンスキー大聖堂

ウスペンスキー大聖堂
Успенский Собор

 この写真は、撮影者としては非常に悔しいのだが、ほかに写真がないのでこれを公開するしかない。真正面に写っているのは大聖堂の鐘楼で、聖堂本体はこの向こう側にある(鐘楼の右に、金屋根のくすんだ色の建物がちょっとだけ見えている)。時間がなかったのと、雨が降っていたのと、アングルが悪かったのとで、きちんと写真を撮ることができなかった…

 12世紀に建立された聖堂で、ロシア正教の府主教座(ギリシア正教のロシア出張所本部)が置かれた。この建物を手本として、後にモスクワのクレムリン内に同じウスペンスキー聖堂が建てられている。

 現在も教会として機能しており、礼拝者に混じって中を見学することができる。ただし、撮影禁止、飲食禁止、かぶりもの禁止露出の多い服禁止。厳粛な雰囲気で見学に臨むように。

 

 中には、壁画作家として名高いアンドレイ・ルブリョフのフレスコ画が残されており、最後の審判のフレスコ画の下で立ち尽くすことしばし。写真撮影が禁止されているので言葉で説明するしかないが、内部の雰囲気はとても言葉で言い表せないので、実物を見に行ってくれと言うしかない。

 

 

ドミトリエフスキー聖堂
Дмиториевский Собор

 ウスペンスキー大聖堂から左へ少し歩いた所に建つ、小さな聖堂。遠景だとよくわからないが、外壁には細かなレリーフがびっしりと刻まれていて、聖書や神話の物語が展開されている。

 現在、中は博物館になっている。なぜか、子どものおもちゃ博物館

 屋根の上の十字架は、下に三日月形の飾りがついている。なぜ?とアナトーリさんに聞いたら、説が2つあるそうだ。

説1:三日月はイスラム教の象徴。イスラムに対するキリスト教の優位を説く。
説2:三日月形の飾りは船。船は人生の象徴。人生の荒波の中でキリスト教が常に共にあることを説く。

 説2の方が有力だとか。それにしてもアナトーリさん、何でもよく知ってる。

ドミトリエフスキー聖堂

 

 

ドミトリエフスキー聖堂裏のパノラマ

 恒例、偽パノラマ写真。ドミトリエフスキー聖堂裏の展望台から眺めた風景を、何枚かの写真に分けて後で合成。

 左の方に見えるとんがり屋根の白い建物が、ロジェストヴェンスキー修道院。この下の方にはクリヤジマ川が流れているが、写っていない。それ以外には特別珍しいものはない

 雨は降ってるし、冷たい北風は吹いてるし、ふきっさらしの展望台からは何も見えないしで、観光としては散々なのだが、この荒涼とした感じが逆にロシアっぽいとも言える。

 

 

 ここからバスに乗り、さらなる古都スズダリへ。ウラジーミルからスズダリまではバスで1時間もかからずに着く。

 

川向こうの聖堂  バスを降りて、川にかかる小さな橋を渡る。向こうには名も知らぬ聖堂がひっそりと建つ。

 晴れてればいい風景だったのに。

 

 

府主教宮殿
Архиерейские Палаты

 3階建ての白い建物が府主教宮殿で、その向こうにそびえる青いタマネギ屋根は別物。この辺りは1000年近く前に作られた土塁に囲まれ、その外側に流れるカメンカ川が天然の堀の役目を果たしていた。

府主教宮殿

 

猫  猫も寒そう。

 

 府主教宮殿のアーチをくぐりぬけると… 府主教宮殿

 

 

ロジェストヴェンスキー聖堂 ロジェストヴェンスキー聖堂
Рождественский Собор

 府主教宮殿の向こうに見えた青いタマネギ屋根の正体がこれ。13世紀に建てられた聖堂で、星のような模様を散りばめた青いタマネギ屋根がとても美しい。

 教会の入口にはかつて黄金の門が取り付けられていたが、現在は府主教宮殿の中に展示されている。

 

 

 ロジェストヴェンスキー聖堂と向かい合って建つ、府主教宮殿の鐘楼。 府主教宮殿の鐘楼

 

 

ヴァスクレセンスカヤ教会  ロジェストヴェンスキー聖堂を離れてぶらぶら歩いていくと、土塁の切れた辺りに広場がある。白い建物がヴァスクレセンスカヤ教会で、左の細長い建物はかつて商店街だったアーケード。

 この近辺にはとにかく古い教会が多い。

 

 

スパソ・エフフィミエフ修道院
Спасо-Евфимиевский Монастырь

 さきほどのヴァスクレセンスカヤ教会からレーニン通りを北に向かって歩くと、高さ8mもある壁が見えてくる。この壁の向こうが修道院。中の見学もできるが、今回は外から見るだけ。

 外界との接触を断つために造られたこの壁のおかげで、修道院は昔から牢獄や政治犯の収容所として使われることが多かった。スパソ・エフフィミエフ修道院も例外ではなく、第二次大戦中のスターリングラード攻防戦で降伏したドイツ軍のパウルス将軍もここに収監されていた。

スパソ・エフフィミエフ修道院

 

 

ポクロフスキー修道院  スパソ・エフフィミエフ修道院の壁際から川向こうを望む。

 白い壁に囲まれているのが、ポクロフスキー女子修道院。

 

 …とにかく寒い! 夏だというのに寒い! 雨も降っているので本当に寒い! 一応セーターも着ているし、日本の秋くらいの気候には対応できる服装なのだが、ここロシアは日本の冬のような気候だった…。なんでも、夏だというのに寒気が入り込んできているとかで(天気が悪いのはその影響)、ロシア人にとってもちょっと寒いらしい。よく見りゃアナトーリさん、しっかり革ジャン着込んでるじゃん…。

 スズダリは、晴れていればもっといろいろと見たいところが多い。ロシアの古い木造建築を集めた木造建築博物館とか。今は寒くてそれどころではないので、ウラジーミルで買ったパンフレットで溜飲を下げ、とにかく暖かいホテルへ向かうことにする。

 

 

 

 この日到着したホテルは、スズダリ近郊にあるグラブニーツーリストコンプレックス・リゾリット。スズダリは景観を保護するために高層建築が許可されていないので、リゾリット・ホテルも2階建て。そのかわりに横方向に細長いホテルである。

 バスが到着する直前、S馬さんが何か不穏なことを言う。

「実は……会社としておわびしなければならないことがありますので、お部屋に入る前に、一旦ロビーに集まってください」

 何に対する「おわび」なのか? ちょっと不安になりながら、リゾリット・ホテルに到着。

 

 例によって滞在登録のためにパスポートをホテルに提出したりして、チェックインの手続きはなかなか厄介。S馬さんが手続きをしてくれている間、我々はロビーでしばし待機。何を告げられるかわからないので、この間で結構緊張する。

 ようやく手続きを終えたS馬さんが戻ってきて、ようやく本題に入る。

「実は、明日モスクワで泊まる予定だったアエロスター・ホテルから……キャンセルされてしまいました。ほかのホテルを探しているんですが、急な話なので空いてるホテルが見つからなくて、明日の宿泊地がまだ決まっていません

 何だってぇ!? ロシアまで来て野宿ってことか!?。

 S馬さんの説明によると、アエロスター・ホテルの支配人が最近替わり、旧支配人のとった予約を新支配人がほとんどすべてキャンセルしてしまったのだという。市場経済が導入されてまだ10年という未熟さがなせる業か、それとも4つ星ホテルというネームバリューにおぼれた結果か。いずれにせよ、客商売としてその判断はどうなのかと首を傾げたくなるような対応なのだが、ロシアでは支配人交替のどさくさにたまにあることなんだそうで、特別驚くことではないらしい。なーんだ、そうだったのか……って、明日泊まるところがないって事態にゃ何の変わりもないじゃないか。

 …一同、しーんとなってしまった。

 S馬さんは単なる添乗員なので、S馬さんに詰め寄っても仕方がない。本当に詰め寄らなければならない相手は、ここから100km以上離れたモスクワにいるので、ここで怒ったり慌てたりしても意味がないから、しーんとなるしかないのである。

 私とN子は、正直な話、この展開を「おいしい」と思っていたので、面白くてしょうがなかった。S馬さんはそれどころじゃなかっただろうが。(サンクト・ペテルブルク最後のレストランで、携帯電話で忙しそうに話していたのはこの件についてだったのだ)

 だがこれだけは言わせてもらいたい。

 アエロスターのバカヤロー!!

 ふぅ、すっきりした。

 

 

 さて、翌日以降の旅程に若干の不安を残しつつ、とりあえずは暖かいホテルでくつろぐことにする。まずは夕食。長ーい廊下をひたすら歩いていった先にあるレストランで、本日のディナー。

ピロシキ  ロシア料理といったらピロシキ пирожок

 パンの中に肉が詰まっている料理で、肉まんのような感じ。

 この日の夕食は、ボルシチ、ピロシキ、ポークピカタに、ハチミツパンケーキがデザートに出て、とてもボリュームがあって大満足。加えて、「キャンセルのお詫びに」とドリンクをサービスしてもらえることになって、私とN子はこけもも酒とナナカマド酒を注文。どちらもとてもフルーティでおいしいお酒。ナナカマド酒の方はここスズダリの特産品だとかで、後でお土産に買っていくことにする。

こんなの買いました

 

 部屋に戻ると、今日の雨で靴がびしょびしょに濡れていることに気づいた。さすがに替えの靴までは用意していないので乾かさなければならないが、翌朝までに自然乾燥するような半端な濡れ方ではないし、ドライヤーで乾かすのも面倒そうだ(第一、夕食中にもレストランの電気がおぼつかなくなったくらいで、ドライヤーを連続使用したらホテル中が停電になりそうで怖い)。一晩靴を乗せておけるような暖房器具もない。

 そこでふと、前の日に泊まったホテルでは、洗面所のタオルかけが温かかったのを思い出した。このホテルも調べてみると、やはりタオルかけが温かい。ロシアのホテルはどこも(ちゃんとしたところは)、洗面所のタオルかけが壁に作り付けになっていて、パイプの中にお湯を通すような仕組みで常に温かくしてあるようなのだ。これは『地球の歩き方』にも書いてない発見。そのタオルかけからタオルを取って、そこに靴を乗せておくと一晩で乾くというのは、さらなる大発見。こうして私たちは、翌日快適に靴をはくことができたのであった。

 それにしても、どうしてタオルを温めてあるのだろう? やっぱり寒い国だから?

 

 その晩は、洗面所のドアが外から開けられなくなってしまってS馬さんをたたき起こしたりしたが、とりあえず無事に寝床につくことができた。明日はどうなるかわからんが

 

 

《黄金の環の巻・後編へ》

《旅行記トップへ》